大阪中央公会堂

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、大阪中央公会堂の中にある会議室を借りる機会があり、初めて大阪中央公会堂の中に入りました。建物の外観も中の様子もレトロな立派な造りで、廊下に置かれている椅子一つでも格調高いものでした。そんな中でも意外なところが近代的で、みんなとも「あの扉だけが近代的だったね」という話になりました。それはお手洗いの自動扉です。

 普段、お手洗いの自動扉というのは珍しくないと思うのですが、あのレトロ建築で自動扉というのが意外な上、開き方が左右にスライド式に開閉するのではなく、回転式なのか?旋回式なのか?開閉する自動扉で、動きが読めないことに「おぉ~!」という驚きでした。

 「人は意外性に満ち、相互に影響を及ぼし合って変化していく魅力的な存在。
     だからこそ、人とのかかわり合いは人生を豊かにする。」(小宮山宏 東京大学元総長)

 この小宮山総長の言葉は東京大学の2005年入学式に述べられた式辞の一部です。この前後に、「人との関わりは、それが多様な人との関わりであるほど成長の糧となります。学んだ分野や育った環境が異なると、同じ問題でも異なる視点から捉える場合がしばしばあります。…人との関わりを通じて、『他者を感じる力』を備えた人になってください。」と述べられています。

 私くらいの年齢になり少しばかり社会を知ってしまうと、人に対しても物に対しても先入観や固定観念により決めつけてしまう傾向にあります。その結果、よく似ている環境で、よく似た人たちばかりとの関わりで過ごしてしまい、今更ながらその関わりの中で意外性を感じることはあまりなくなっているように思います。

 例えがお手洗いの自動扉と少しおかしいですが、人にも物にも意外性があると「おぉ~!」と思い、自然と次への興味が湧いてきますよね。多様な人とのかかわり合いの中で、お互いの異なる知識や考え方、感覚などを理解し、お互いが影響を及ぼし合える人と出会えるように、また私自身もそのような存在になれる人としてまだまだ成長していきたいです。

人見知り

 経理・事務を担当しています黒田です。

 昨年末、ある忘年会で「人見知りだから…と言ってしまうのはどうなんだろうねぇ??」という話になりました。なぜそのような話題になったのかといいますと、そのグループの中で「人見知りだから…」と本人が思ってしまっているからなのか、なかなか周りの人たちと上手くコミュニケーションが取れない関係になっているように見え、「何とか良い方向にならないかなぁ?」とみんなで話していたのでした。

 昨年「恋ダンス」で話題となった星野源さんがある対談で、「昔、自分のことを人見知りだと思ってたんです。でも、今は人見知りって気のせいじゃないかって思うんですよね。『人見知りです』と言うのって、『コミュニケーションをとる努力をしない人間なので、気を遣ってください』というのと一緒なんじゃないかと気づいてから恥ずかしくなって」と語っておられました。

 「自分はこんな人間であるという思い込みが現在のあなたをつくっている。」(作家 佐藤富雄)

 「人見知り=コミュニケーションをとる努力をしない人間」とは必ずしも言い切れないとは思います。ただ「私は人見知り」と思い込んでしまうことにより、“人見知り”というフィルターを通すためなのか、自らの限界を作っているようで勿体ないなぁと思ってしまうことがあります。

 星野さんのように“気のせいじゃないか”というように、自ら限界を作らない「良い方向に転じるように!」と思い込める習慣を作っていけるようにしたいです。