稀勢の里

 経理・事務を担当しています黒田です。

 3月、大相撲春場所の千秋楽、横綱 稀勢の里と大関 照ノ富士の優勝決定戦をテレビで見ました。稀勢の里は前々日に負傷され黒星が続き、「新横綱での優勝は無理かな?!」と思いながら見ていたので、優勝が決まった時は感動しました。久しぶりの日本人横綱誕生という大きなプレッシャーの中で臨まれた春場所、そして逆転優勝、ニュースでも大きく取り上げられていましたね。場所後、「やると決めた以上、諦めないでやろうと思った。元々であれば、15日間、万全の状態で務め上げるというのが使命というか。ああいう見苦しいテーピングとかしなくてはいけない状態になってしまった自分が一番悪いと思っている。」と優勝できたことよりも、満足な状況で土俵に上がれなかったことを反省されていることも稀勢の里らしい発言だと思いました。

 「情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない。」
                    (オーギュスト・ロダン、彫刻家)

 稀勢の里の横綱としての使命を自覚されている行動や発言を目の当たりにして、相撲ファンでない私でも応援したいという気持ちが自然と湧いてきました。何かを成し遂げる時、色々な問題が必ずでてくることが分かっていても、やはり問題がでてくるとその事で精一杯になってしまい、自分が努力している先の目標をすっかり忘れてしまうことがあります。稀勢の里のように自分の使命をどんな時でも忘れない、「誰のために、何のために、今努力をしているのか」ということを明確にできるよう、常に自分に問いかけながら日々を過ごしたいです。

一歩下がってみましょう

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 「一つのことを考える時、その一点に集中してしまうと視野が狭くなります。
  だから、常に一歩下がって大きくものを見ることができる人でいてください。」

 この言葉は、大学院で最後に履修していた科目の先生が、最後の講義時、私たちへ向けられた言葉です。この先生は、発表内容が望まれているものではない場合は、その事に対してかなり厳しく指摘をされました。しかし、必ずその後、その発表者の良いところを1つは仰ってくださり、「こんな所まで見てくださっているんだなぁ」と思ったことが何度かありました。私は先生のこのようなお人柄が好きで、この最後の言葉が大変心に残りました。

 「視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。」(松下幸之助)

 何かに悩んでいる時、「どうして解決する方法が見つからないのだろう?」とずっと同じ場所で悩み続けたり、何か気分を害することが起こった時、「どうして同じように考えてくれないのだろう?」と相手に対して同じ価値観を求めたりということがあります。自分が煮詰まった時に一歩下がってみる、よく画家さんが絵を描いている時、ときどき後ろへ下がって自分の描いているものを全体から眺めているのと同じように、視野が広がり見えなかったものが見えてくるのでしょうね。

 “一歩後ろから物事を見ること”を常に意識しながら、時には一歩下がって自分を見て、進んでいる道が間違っていないのかも確かめながら、日々を過ごしていきたいと思います。

使い方次第

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 1月末、修士論文を大学院の方へ無事に提出することが出来ました。最後の約1ヶ月、いかに「言葉」というものを普段から何の気なしに使っていたのか、また「言葉」の使い方の難しさを改めて知る良い機会でもありました。例えば、「述べる」という言葉が使いやすくよく使っていたのですが「“述べる”という言葉は弱すぎる、論文では“言ってみました~”程度にしか聞こえない!」、「…のようにされている」を使っていると「誰がされているのだ?主語が無い!」などなど、今までこれほどまでに指摘を受けたことがないくらい、多くの「言葉」の使い方を指摘されました。

 「他人から好かれる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。
  言葉の選択一つで、人との関係は180度変わってきます。」(ジョセフ・マーフィー)

 論文に使う言葉と日常生活で使う言葉とでは、大きく違いがあると思います。ただ、どちらとも言葉の使い方一つで、相手への印象が変わることは同じだと思いました。普段、知人や友達と話をしていて、「この言葉の使い方って綺麗だなぁ」と思うことが偶にあり、その時はその言葉使いを真似して使うように心掛けたりしています。もちろん反対の時もありますが、その時は「こういう使い方をしたら相手がイヤな感情が湧いてしまうんだなぁ」と分かり、使わないようにします。

 言葉を使わない日というのが無いからこそ、何気なく簡単に言葉を使ってしまうのでしょうね。今回のことをきっかけに、言葉を選び、そして人に真似てもらえるような言葉の使い方をできるように心掛けていきたいと思っています。

大阪中央公会堂

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 先日、大阪中央公会堂の中にある会議室を借りる機会があり、初めて大阪中央公会堂の中に入りました。建物の外観も中の様子もレトロな立派な造りで、廊下に置かれている椅子一つでも格調高いものでした。そんな中でも意外なところが近代的で、みんなとも「あの扉だけが近代的だったね」という話になりました。それはお手洗いの自動扉です。

 普段、お手洗いの自動扉というのは珍しくないと思うのですが、あのレトロ建築で自動扉というのが意外な上、開き方が左右にスライド式に開閉するのではなく、回転式なのか?旋回式なのか?開閉する自動扉で、動きが読めないことに「おぉ~!」という驚きでした。

 「人は意外性に満ち、相互に影響を及ぼし合って変化していく魅力的な存在。
     だからこそ、人とのかかわり合いは人生を豊かにする。」(小宮山宏 東京大学元総長)

 この小宮山総長の言葉は東京大学の2005年入学式に述べられた式辞の一部です。この前後に、「人との関わりは、それが多様な人との関わりであるほど成長の糧となります。学んだ分野や育った環境が異なると、同じ問題でも異なる視点から捉える場合がしばしばあります。…人との関わりを通じて、『他者を感じる力』を備えた人になってください。」と述べられています。

 私くらいの年齢になり少しばかり社会を知ってしまうと、人に対しても物に対しても先入観や固定観念により決めつけてしまう傾向にあります。その結果、よく似ている環境で、よく似た人たちばかりとの関わりで過ごしてしまい、今更ながらその関わりの中で意外性を感じることはあまりなくなっているように思います。

 例えがお手洗いの自動扉と少しおかしいですが、人にも物にも意外性があると「おぉ~!」と思い、自然と次への興味が湧いてきますよね。多様な人とのかかわり合いの中で、お互いの異なる知識や考え方、感覚などを理解し、お互いが影響を及ぼし合える人と出会えるように、また私自身もそのような存在になれる人としてまだまだ成長していきたいです。

人見知り

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 昨年末、ある忘年会で「人見知りだから…と言ってしまうのはどうなんだろうねぇ??」という話になりました。なぜそのような話題になったのかといいますと、そのグループの中で「人見知りだから…」と本人が思ってしまっているからなのか、なかなか周りの人たちと上手くコミュニケーションが取れない関係になっているように見え、「何とか良い方向にならないかなぁ?」とみんなで話していたのでした。

 昨年「恋ダンス」で話題となった星野源さんがある対談で、「昔、自分のことを人見知りだと思ってたんです。でも、今は人見知りって気のせいじゃないかって思うんですよね。『人見知りです』と言うのって、『コミュニケーションをとる努力をしない人間なので、気を遣ってください』というのと一緒なんじゃないかと気づいてから恥ずかしくなって」と語っておられました。

 「自分はこんな人間であるという思い込みが現在のあなたをつくっている。」(作家 佐藤富雄)

 「人見知り=コミュニケーションをとる努力をしない人間」とは必ずしも言い切れないとは思います。ただ「私は人見知り」と思い込んでしまうことにより、“人見知り”というフィルターを通すためなのか、自らの限界を作っているようで勿体ないなぁと思ってしまうことがあります。

 星野さんのように“気のせいじゃないか”というように、自ら限界を作らない「良い方向に転じるように!」と思い込める習慣を作っていけるようにしたいです。

石田ゆり子さん

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 お昼休みの話題の一つ“芸能ネタ”で、少し前に同世代の女優さんで群を抜いて綺麗なのは“石田ゆり子さん”ではないだろうか、という話になりました。昨年後半にヒットしたドラマ「逃げ恥」に出演されていた時、ちょうど石田さんがインスタグラムを始められたことを知り、よく見ています。犬猫と過ごされていて、動物の愛らしい写真ももちろんですが、ご自身の写真も偶にアップされていて、その柔らかい表情とそこに書かれているお茶目な短い文章に、いつも気持ちが和まされています。

 年を重ねるごとに、何かにつけて年齢の責任にしたり、はたまた「いかにしてもう少し若く見られないものだろうか?」と無理なことを真剣に考え、外見ばかり良くしようと考えがちになることがあります。でも、本当は外見が良くなることを考えるのと同じくらい、いえそれ以上に自分の表情にも関心をもたないといけないのでしょうね。表情は内面から出てくるといわれるように、内面である自分の心をどれだけ豊かにできるかということを考えなければいけないですね。

 「確かに私の顔にはシワが増えたかもしれません。
  でも、私はこのシワの数だけ優しさを知りました。
  だから、若いころの自分より、今の自分の顔の方がずっと好きです。」 
                       (オードリー・ヘップバーン)

 毎朝、化粧をして少しでも良くなりますように!と思う習慣があるように、今年は自分の心にも元気できれいに保つことができますように!と思う習慣をつけていきたいと思います。

アメリカ大統領選

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 今週末、第45代 トランプ アメリカ大統領が誕生しますね。昨年繰り広げられた長い選挙活動の中、各候補者にデメリットな情報が流れたり、はたまたテレビ討論会では悪口の言い合い、そして嫌われ者同士の大統領選とまで言われ、世界をリードするアメリカの大統領選としてはお粗末で、寂しいものを感じていました。そのように思ったのは私だけではなく、大統領選事前のある世論調査では、候補者同士の非難合戦の様相を若年層が幻滅したため投票離れが進んでいるという結果もでていたようです。

  毎日を「自分の将来のために大切な一日」、「生きているというだけで特別な日」だと考えれば、
       どれだけ生産的でエネルギッシュになれるか驚くことだろう
                            (トランプ 第45代アメリカ大統領)

 これはトランプさんの言葉なのですが、選挙時のあの数々の暴言等はすべて計算尽くされたパフォーマンスだったのでは??と思ってしまうくらい、私は良い言葉に思えました。

 この言葉のように日々を大切に過ごそうとは思っているのですが、なかなか思い通りに過ごせていないのが現実のように思います。日常生活は何ら変わらない毎日であって、特別なことではないとついつい思いがちになっています。でも、その日常生活を毎日繰り返すことにより365日が積み上がり一年となり、それをどんどん繰り返させるのが私たちの一生なのですよね。どんなに小さなことでもコツコツと努力をしていけば、いつか大きな結果を生み出すのであり、大きな夢をいつも頭において日常という小さな一日を大切に過ごしていきたいと思います。

おせち料理

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明けましておめでとうございます。
今年一年も皆様にとって素晴らしい年でありますように。

 お正月は例年通りおせち料理を食べたのですが、昔からおせち料理とはお正月に私たちが食べるお料理のことと疑わずにいました。調べたところ、もともとは季節の変わり目の節句に神様にお供えしたお料理だったそうです。お正月がその中でも一番重要な節句であることから、やがておせち料理といえば正月料理のことをさすようになったようです。

 最近では、デパートで有名なお店のおせち料理が注文することができたり、コンビニでもおせち料理を販売されていたり、お料理の内容にも金額にも以前では考えられないくらい選択肢が広まったように思います。おせち料理のように、私たちの取り巻く環境も「自分にあった良い方法を見つけ選択する」という機会が以前よりも多くなってきているように思います。たとえば、携帯電話も数年前までは「大手会社のいくつかのプランの中から選択する」ということが当たり前だったように思うのですが、今では携帯電話の会社も驚くほど増え、自分の用途にあわせて会社もプランも選択ことができるようになりましたね。ただ、この選択はなかなか自分一人で行うのは難しいですが・・・。

 「人生は選択の連続である」(シェイクスピア)

 誰もが自分の意志に基づいて、日常的な選択から人生における大きな選択までとさまざまな選択をして日々生活をしていますよね。自分に余裕がない時「まぁこっちでいいかぁ~」といったように中途半端に選択をしてしまうことも今まではありましたが、今年はどのような選択もしっかりとした自分の意思に基づいて行い、この選択の結果により自分がより成長できるようになれればと思っています。

朝まで生テレビ

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 少し前ですが、テレビを付けると「朝まで生テレビ」がちょうど始まったところで、久しぶりに最初の1時間ほど見ました。最初の1時間しか見ていないということもあるのだと思いますが、発言者の話を途中で遮ったりされる場面も少なく、少し今までの印象と違うようにも感じました。討論番組では、ヒートアップしてくると、話をしている方の言葉に上から被せて喋りだす人が多くおられ、いつ見ても不快に思い、途中で止めてしまうことがあります。

 さまざまな人達がさまざまな考え方を討論し、その考え方をメディアを通して発信することにより、知りたいけれど難しくてなかなか一歩を踏み出すことが出来なかった人やあまり興味がなかった人に少しでも関心をもってもらうための場を設けるというのが討論番組の良さではないかなぁと以前から思っていたので、人の発言を遮り、人の言葉を大切にしないということに疑問をもっていました。

 「他人は互いにわかり合えないものです。わかり合えないからこそ、言葉があるのです。」(養老孟司)

 言葉は、相手を喜ばすことも出来ますが、反対に相手をひどく傷つけてしまうことも出来てしまう本当に難しいものですよね。もともと自分と他人は異なるものであって、お互いに話をしたり、議論をしたりと「言葉」という共通ツールを使わないかぎりは交わり合わないように思っています。ツイッターやLINEが急速に私たちの生活に占める割合が大きくなり、“直接話をする”という機会は以前よりも減りましたが、どんな形でも言葉を使ってお互いの距離を縮めることができる機会が逆に増えたようにも思います。言葉というツールを使うことにより、お互いが理解でき、意思疎通ができ、日常生活でも職場においても間違った解釈することも少なく物事が進んでいくのではないでしょうか。“ちょっとした言葉がけ”、このことを疎かにせずいたいと思います。

その後の様子

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 このブログを始めた当初、症例カンファレンスや全体ミーティングのことなど職場の雰囲気を紹介しましたが、あれから3年以上経ち、その後の様子を少しだけご紹介したいと思います。

 この3年の間に、読影医の先生の人数も増え、それに伴い椅子や机などが増えました。そして、新しい契約施設さんも増え、施設ごとに対応できる端末も増えました。読影室のレイアウトなども微妙に変わりましたが、驚くほどの大きな変化はなく、1日2回の症例カンファレンス、全体ミーティングや勉強会も3年前と同じように行われています。

 「花は一瞬にして咲かない。大木も一瞬にして大きくはならない。
   一日一夜の積み重ねの上にその栄光を示すのである。」 (坂村真民)

 個人も会社も同じだと思いますが、全てを覆すような素晴らしい一手などというものは存在せず、一日一日の小さなステップの積み重ねが、個人ならば素晴らしい結果を得られ、会社ならば継続的に成長し続けることができるように思います。ついつい素晴らしい結果ばかりを求めがちになってしまいますが、一日に出来るほんのわずかな事をコツコツと積み重ね、これからも前へ進んでいきたいと思っています。