エレベーター

 経理・事務を担当しています黒田です。

 年始に掲げた目標の一つに「エレベーターの“閉”ボタンを押さない」ということがあります。

 なぜこのようなことを目標に掲げたのかといいますと、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という本の中で、エレベーターの扉が閉まる「間」のことが書かれている「四秒すら待てない私」という内容に感銘を受けたからです。

 ある時、エレベーターの扉のボタンをあわてて押している自分に気づかれました。エレベーターのドアは、「閉」のボタンを押さなくても四秒くらい経てば自然に閉まるもので、その四秒すら待てなくなっている。それからは、扉が閉まるまでのわずかな時間に自分の好きな言葉を心の中で唱えるようにされたそうです。はじめはついボタンを押してしまわれることもあったそうですが、しだいにエレベーターの中のわずかな時間が自分にとって大切な時間に感じられるようになった、と書かれていました。

 一人で乗る時は押さないようにしていますが、習慣とは怖いもので、ついついボタンを押してしまうことがよくあります。

 「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。
  習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」
                (ウィリアム・ジェイムズ 心理学者・哲学者)

 四秒は取るに足りないほどの時間だと思います。だから“どうでもいい”というのも一つの生き方であって、私はこの僅かな時間を丁寧に過ごせるような毎日を過ごすことができればと思っています。また、心の持ちようを少しだけでも変えようと思ってもなかなか変えられないと思うことが日常多々とありますが、意外とこんな身近なことをきっかけで心の持ちようを変えられることにも気づくことができました。

青いイナズマ 白星発進

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 先月、「SMAP解散」というニュースが流れましたが、今回の報道でSMAPの影響力の大きさに驚きました。おそらく思い違いではなければ、今までにも何度か「SMAP解散説」というのは流れた記憶がありますが、今回は本当に空中分解の可能性があったようですね。でも、元に戻って本当に良かったです。

 この解散報道の翌日、毎日新聞朝刊が「SMAP愛にあふれている」として注目を集めていて、SMAPファンから「とても感動しました」などツィッターでのコメントが相次いだようです。そのスポーツ面の見出しは、サッカー男子U23日本代表の記事には「青いイナズマ 白星発進」、西武の秋山選手の記事には「216安打 今年も らいおんハート」、ほかにも「お帰り 世界に一つだけ『地元の華』」・・・いずれもSMAPの曲名を連想させる見出しで、SMAPファンの編集者が作られた記事だそうです。

 「どんなことでも心をこめて行うようにしてください。
  なぜなら心がこもったものは、相手を感動させる力があるからです。」
             (ジョセフ・マーフィー、20世紀米国の教育家・牧師)

 真実がまだ明らかにされていない報道が続くと、憶測だけでネガティブな文字が先行することが多いように思いますが、このような形で心を込めて「SMAPに感謝」することを表現された編集者の粋な計らいに心が和み、SMAPファンでない私も感動しました。

 いつも12月頃になると、お世話になった方に何かの形でお礼をしたいと思いはじめ、「何か良いものを」と考えます。結局、年末ギリギリにお礼の電話を掛けるのが精一杯で、これで“お礼をした”という気持ちになっている自分の行動に「何かが足りないのでは?」と感じることがありました。この見出しを読み「相手のことを思い、心をこめる」という気持ちが少し欠けているのだという事が分かりました。何事も自己満足のためにするのではなく、常に相手のことを思い行動をする、ということを心掛けていきたいです。

腕時計

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 前回電池交換をした際に「次は本体の修理をした方がいいですよ」と言われていた腕時計が、昨年12月にとうとう止まってしまい、修理にも1ヶ月以上の時間がかかるということだったので、この機会にと思い新しい腕時計を購入しました。その間2週間ほど腕時計ナシで過ごし、最初は「携帯電話があるから大丈夫だろう」と思っていたのですが、電車に乗ろうとして急いで時間を見たい時にわざわざ鞄から携帯電話を出さないといけない等々・・・ちょっとした不便さを幾つか感じました。“腕時計”というと時間に追われ縛られる印象をもたれる方もあると思うのですが、私にはなくてはならないものだと再認識しました。

 「苟日新、日日新、又日新(まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)」
                                 (殷王朝の創始者 湯王)

 名高い聖天子であった湯王は、毎朝使う洗面器にこの言葉を刻み、自らを戒められたらしいです。1日24時間という時間は誰にも等しく与えられ、それをどう使うかが人生を分けるのだと思います。その事を分かっていても、なかなか一日一日を、一瞬一瞬を大切にすることを怠って過ごしてしまっているように感じます。

 今日は昨日より新しく、明日は今日より少し新しくしようとする気持ちで日々、時間を大切に過ごせる一年にしようと改めて思っています。

日常の瑣事

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あけましておめでとうございます。

 みなさんは、どのようなお正月を過ごされたでしょうか?私は初釜をお休みしたので、久しぶりに着物を着ずにお正月を過ごしました。

 着物といえば、昨年12月にある番組で人間国宝 片岡仁左衛門さんの特集を見たとき、“着物を着て美しい男性”とはこの方のことをいうのだなぁと改めて思いました。仁左衛門さんが以前インタビューで、着物を着ることについて「常にでなくていいのですが、顔見世に行くのだから、歌舞伎座に行くのだからと、年に何度か、ちょっと着飾る気持ちになっていただけたらと思いますねぇ。外国のオペラハウスも、上階のほうでご覧になるときはラフな格好、けれど、一等席に座るときはドレスアップをして見ますでしょう。ああいう華やかさがあると、さらに劇場が楽しくなるのではないかなと。」と仰っておられました。

 京都では最近、着物を着て歩かれている人達を以前より多く見かけるようになり、日本経済新聞でも先日、「コスプレ感覚で非日常の和装を楽しむ若い人が増えている」という記事がありました。私も稀に着物を着てお茶会などに出掛けることがあるのですが、その時は背筋がすっと伸びた心地よい感覚を味わえます。

 「人生を幸福にするために、日常の瑣事を愛さなければならぬ」(芥川龍之介)

 非日常な日は一年を通してほんの数日で、そんな日だからこそちょっと着飾って楽しみたい気持ちになりますよね。でも、非日常なハレの日も、普段の日常生活に満足できていなければ十分に楽しむことはできず、せっかくの時間が単なるストレス発散の機会になってしまう気がします。また、ハレの日があるから日常生活もよりよいものになるようにも思います。

 今年は稀な非日常を心から楽しめるよう、日々同じことが繰り返される些細な出来事に感謝して、愛せるような一年にしようと思っています。

こんな靴、見るのは初めて。

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 今年もあと僅かとなりましたね。

 この一年を振り返ると、日本では“戦後70年” “安保法案”などにより歴史を振り返り、そして将来日本がどのような方向に進むのが良いのだろうか、ということを多く論議されたように思います。また、世界では“テロ”という言葉を聞く機会が今までになく多かったように思います。

 「こんな靴、見るのは初めて。よく歩けるね。最初は練習したの?
  こういう靴が履けるのはいいね。私の住んでいるところでは履けないもの。
  日本みたいな綺麗な道がないから、かかとが土に埋まっちゃう。」

 あるブログに書かれていた、テロとの戦いという名のもとの空爆の影に隠れた哀しい現実を訴えるために来日された11歳のパキスタン人 ナビラ・レフマンさんが、ハイヒールパンプスを履いている人に言われた言葉です。ナビラさんが今住まれているのは、パキスタン国内の緩衡地帯で、仮設の小屋でトイレもなく、外では怖くて遊べない、そして学校にも行くことができない。爆発音がするたびに恐怖に震えて、いつも不安でいっぱいになりながら、空を見上げ、楽しみは家で教科書を読むことだそうです。

 この言葉を読んだとき、ハイヒールを履いている日常に何ら疑問をもつことがない私の生活が、どれほど恵まれているのかを再認識しました。“テロ”が起ったときにだけ、“紛争”が激化したときにだけ、新聞などの媒体を通してテロや紛争と隣り合わせで暮らす人たちのことを知り、あたかもその人たちの全てのことを知っているような気になって、「知らない」という事実に目を向けていなかったことにも気付きました。

 「知らない」という事実、この世の中にはたくさんあるのだと思います。もし何かの問題の解決に手助けができるとすれば、まずはそれをよく知ることから始まるのだと思います。さらにただ知っているというだけでなく、具体的に何か行動を移せるかどうか、実際にはそこが最も難関のように思います。私自身の力はごく限られていて、とてもちっぽけなものですが、それでも誰かに笑顔でいてもらえるための何かを実際の行動に移す、これを心掛けながら、新しい年の日々を過ごすようにしたいと思っています。

人間も人生も万華鏡

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、ジャーナリスト 櫻井よしこさんの「何があっても大丈夫」という本を読みました。少し前に出版されたこの本は、櫻井さんがベトナムの野戦病院で誕生されてから、お父様が不在のまま10代を過ごされ、ハワイでの大学生活を経て新聞社助手になり、ニュースキャスターになるまでの回想録です。

 私の中での櫻井よしこさんという人は、知的で、穏やか、でも時にはどんな相手に対してでも自分の考えを理路整然と述べられる一本筋の通った女性というイメージがあります。この本を読んで、こんなにも苦労されていることを初めて知り、“一本筋の通った女性である”ことがなんとなく分かったような気がしました。

 「まさに人間も人生も万華鏡なのだ。
  見る人、見る心、見る想いによって千変万化する。
  であればこそ、どんなことも自分の目でしっかり見つめなければならない。」
 本で、櫻井さんのお母様が仰った言葉の中で一番印象に残ったものです。

 数年前ですが、「占い」に頼っていた(ハマっていた?)時期がありました。自分の考えがなかったので全てを信じてしまっていて、「あれ、占ってもらったことと違う…」と困惑したことが何度かありました。といった経験を経て、「占い」は良いことを信じて、悪いことは流すくらいが良いのであって、自分の考えをしっかり持つことが大切なのだ、ということがよく分かりました。今の私が自分の考えをしっかり持っている人間に成長した・・・とまではまだ言い切れませんが、職場でも、日常生活でも、周りとのバランスを持ちつつ、何事にもぶれないで、自分の考えをしっかりもてる人間でいたいと思っています。

子供の心、いつから失うの?

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、イングランドで開催されていたラグビーのワールドカップで、日本は惜しくも一次予選で敗退してしまいました。しかし、世界ランク3位の南アフリカ代表をはじめとする強豪から3勝を挙げての敗戦は史上初ということで、世界中のメディアから「史上最強の敗者」と称賛されました。以前よくラグビー観戦に行っていましたが、最近はなかなか行く機会がなく、今回のワールドカップで久しぶりにラグビー熱が私にも戻ってきました。

 サモア戦の後、五郎丸選手がサモアチームが選ぶMVPに選ばれ、「敗者となった彼らから貰った贈り物は試合のMVPカップより価値があり我々もこんなチームになりたいと思えた」とツィッターで書かれたように、ラグビーは勝敗以上に互いの健闘をたたえ合い、大人の振る舞いが求められます。応援においても、良いプレーを称え、プレースキックの時は静かにする。そして、選手や審判に野次を飛ばさない。

 「ラグビーは子どもをいち早く大人にし、大人にいつまでも子どもの心を抱かせる。」
                 (ジャン・ピエール・リーブ 元フランス代表キャプテン)

 子供のころの好奇心や何かについてもっと知りたいと思う心が、大人になると「こんなこと質問したら、どう思われるかなぁ?」など人の目を気にしたり、冷静になったり・・・どんどん自分を縛っていっているように思います。私も昼食時、みんなでいろいろと話しをしていて思わぬ質問から、「こういう事を疑問に思うことを私は忘れていたな…」と思ったという経験があります。意外とその思わぬ質問から話がふくらんで、新たなことを知ったり、今まで知らなかった相手の一面が発見できたりしたことがあります。

 “大人のマナーをもちながら、子供の心を持ち続ける”、真反対のことを両方とも大事にできるバランス感覚をもつことは意外と難しいように思いますが、いつまでも“子供の心”を失わないバランス感覚のある人でいたいと思っています。

あさが来た

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 今、NHKの”朝ドラ”にはまっています。実は「朝ドラは時間的に見られない!」と思い込んでいたのですが、毎晩23時からBSで再放送をされていることをつい最近知り、それから“朝ドラ”を見るのが日課になっています。今は日本女子大学を設立された女性企業家のパイオニアとして知られている広岡浅子さんがモデルで、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた人にふさわしく、ハラハラしながらも楽しいドラマです。

 「あなたの能力に限界を加えるものは、他ならぬあなた自身の思い込みなのです。」(ナポレオン・ヒル)

 自分を振り返ってみると、意外と思い込みだけで「それは出来ない」と決めていたり、人に対しても「こうして欲しいな」という自分の思い込みを当てはめすぎてイライラしたり・・・ということがよくあるように思います。 「思い込み」が、知らず知らずに自分の幅を狭めてしまっているのかもしれません。

 広岡浅子さんの座右の銘は「九転び十起き」。七転びではなく、九転び。彼女のバイタリティーあふれ、誰に対しても限界を作らない生き方の源泉は、人よりも多くの失敗を受け入れる勇気にこそあるように思います。

 何事も出来ないと思い込まず、失敗も恐れない・・・。そんなスーパーマンのような人になるのは想像しただけでも難しそうですが、それこそ「出来ない」と思い込まず、少しずつでも近づいていきたいものです。

扉の門番はだれ?

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、ある番組で深刻化が増している農業の後継者問題が取り上げられていました。重労働・休みがない・汚れるなどのイメージが強く、そのイメージを一新するための技術開発が進んでいるそうです。興味深かったのは、臭いに悩む酪農家で試された“牛ふんに開発品をかけると甘い香りになる”というものでした。半信半疑で試されたのですが、実際に臭いをかぐと本当に驚かれた様子だったので、私も一度体験したいと思いました。

 その中で「後から引っ越してきても臭い臭いという。先に住んでいるからというのは関係ない時代。」という酪農家の方が仰っていた言葉が印象的でした。長年同じ地に住んで商売をされていたら、後から引っ越して来られた方に問題を指摘されても聞く耳を持たない人がおられると思います。逆に、引っ越した新しい地で、以前からおられる方に問題を指摘することを躊躇される人もおられると思います。というように、お互いが問題と向き合うことを先延ばしにするという状況は、地域社会に限らずどこにでもあるような気がします。

 「我々一人ひとりが“変化の扉”の門番。その扉は、内側からだけ開けられる。」(マリリン・ファーガソン)

 新たなことに挑戦しようとするとき、「今のままでいいじゃないか…」と思うもう一人の自分が出てきたりすることがありますよね。誰かによってではなく、自分で一歩を踏み出していく勇気、簡単なようで難しいことだと思います。でも、“変化の扉”を自ら開けられる人が多くなればなるほど、職場も地域社会も成長し続けられるように思います。

基準が違うのでは?

 経理・事務を担当しています黒田です。

 最近、同族経営の確執や企業の利益操作など企業にとってあまり良くないことのニュースが多く、“顧客は蚊帳の外のような…”と感じることが多くあります。組織が大きくなるにつれ、大人になるにつれ、“これをすれば、どんな利益になるんだろう?”や“こんなことをしても、全く意味がない”など、結果が自分にとってどれくらい利益になるかどうかで、行動する、しないを考えることが多くなってくるように思います。私自身も自分を基準として物事を考えて行動して、思うようにならない…と思ってしまうことがあります。でも、仕事というのは本当は他人に向けての行動しているものなので、その他人にとってどうなのかを基準として考えることが最も大切なはずですよね。

 「顧客はより幸せでよりよい人生を夢見ている。
  製品を売ろうとするのではなく、彼らの人生を豊かにするのだ。」(スティーブ・ジョブズ)

 例えば、やることも断ることもできる仕事をどうするかとか、自分の職種の中でどのような専門性を身につけるかとか、何か資格を取るかどうかなど、皆それぞれ何かを決めながらお仕事をされていると思います。そのような「自分に関すること」を決める時こそ、自分がどうやったら得しそうかとか、それで自分の生活が安定しそうかどうかなどではなく、それで他人がどうなるかを基準に考えることができればいいなと思います。その仕事を自分がした場合、その専門性や資格を自分が手に入れた場合、一体その先どうなるのか。もし「きっと色んな人に良いことがあるぞ」と信じることができていれば、迷うことなく決断し、行動できるのではないかと思います。

 もしも、目先のことにとらわれず、いつも相手を基準に考えて物事を決めている、そんな人が沢山、沢山いたのなら、人生を豊かにするものが社会に溢れているように思います。ジョブズさんはそんな風景を夢見ていたのかもしれませんね。