柴犬が店内におちまくっている

 経理・事務を担当しています黒田です。

 少し前、柴犬が床に落ちまくってる文具店が話題になっているという新聞記事を読みました。兵庫県西宮市のとある文具店の店主 安田さんが「本日は柴犬が店内に落ちまくっていて、ご来店いただいたお客様にはご不便をお掛け致しましたこと、お詫び申し上げます。回収しても回収しても、気がつけば、といういたちごっこを繰り返している今日この頃です」とツイッターに投稿されたところ、たちまち話題になったとのことです。今年の夏は酷暑が続き、人間だけでなくペットたちも快適な場所を求めることに一生懸命だったのでしょうね。

 と、我が家にも同じ現象が起こっていました。現在13歳(多分)のお爺ちゃん犬が、この夏、私たち人間との間にある木製仕切りをとうとう嚙み砕いてしまいました。補修をしたのですが、それがとても気に入らなかったようで、次は体当たりで「この仕切りを開けろ」と要求するようになりました。その体当たりの勢いが尋常ではなく、このままでは彼の体がボロボロになってしまう・・・という心配から、仕切りを開放しています。

 結果、彼は気ままに落ちまくっています。ただ夏が終わっても開放することを忘れていたら、体当たりで要求するので、涼しさだけではなく、人間の声が聞こえるところに身を置いて安心したいのかなぁ、と私は勝手に解釈しています。と、彼が人間との間に仕切りがあることをこれ程嫌だったことを分かってあげられなかったことを少し申し訳なくも思っています。

 「その短い人生のほとんどを、犬は私たち人間と歩まなければならない」
                  (シーザー・ミラン、カリスマドッグトレーナー)

 私たち人間は多くの人と出会い、その中で過ごすことが出来ますよね。ペットとして飼われている動物たちは、短い人生を私たち飼い主だけと歩むことになり、言葉をもたないので、私たちの良いように彼らの気持ちを解釈してしまうことが多いと思います。新しい年は、人に対してももちろんですが、動物に対しても「この子がどうしたら楽しく、快適に過ごすことができるのだろう」という思いやりを忘れずに過ごしていきたいと思っています。

コーヒーが冷めないうちに

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 少し前ですが、久しぶりに映画館に行き、「コーヒーが冷めないうちに」という映画を観ました。内容は、主人公が働く喫茶店「フニクリフニクラ」には奇妙な都市伝説があり、それは店内のある席に座ると、望んだとおりの時間に戻れるというものです。ただ、いくつかのルールがあり、その一つとして“過去に戻って、どんな事をしても、現実は変わらない”というものです。現実は変わらないと分かっていながらも、「もしあの時に戻れたら・・・」という後悔を抱え、過去に戻り、会いたかった人との再会を望む人達が訪れ、人生を見つめ直すさまを描き出された映画でした。

 この原作を読まれた方のあるブログで、「“思い込み”がどれだけ“真実を盲目にさせるのか”ということを感じました」と書かれていたのですが、私も映画を観終わったとき、同じようなことを感じました。最近、長年のすれ違いや思い違いの積み重ねにより、ぎこちなくなった人間関係が生じ、なんとか解決する方法がないかなぁ?と思っていた時期がありました。その時、相談した方の「相手を変えることは出来ないのだから、解決したいと思ったあなたが変わることが良いのではない?」という言葉を少しずつですが実行しています。

 「心の持ち方で結果が変わる。楽観か悲観か、積極か消極か。
   心のあり方如何で、物の見方が変わってくる」(松下幸之助)

 一時的な感情で相手の考え方や価値観を決めつけてしまい、すれ違い・思い違いなどが生じ、結果、修復が難しい溝が出来てしまう、という経験ってありますよね。“過去は変わらないけれど、自分の心の持ち方次第で未来を変えることができる”、この映画を通し、そして自分がその事で悩んだ結果、この言葉の大切さを改めて感じることができました。

過ごし方

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 少し前、台湾に行ってきました。出発の少し前に台風21号の影響により関西空港が一時閉鎖状態になり、予定通り飛行機が出発することが前々日まで決定されず、ドキドキしながらも、なんとなく楽しみながら時間を過ごすことができました。

 今までであれば、恐らく「どうなるの?どうなるの?」とイライラしながら過ごしていたように思います。今回は「もしこの旅行がキャンセルになった時はこのように過ごそう」と予定を立て、そして近いうちに友達ともう一度日程を調整しよう、と最初から次に楽しむことを決めて過ごしていたことが、なんとなく楽しみながら過ごすことができたのでは、と思っています。まぁ、キャンセルになっても全額戻ってくるという安心感もあったのだと思いますが・・・。

 「“できること”が増えるより、“たのしめること”が増えるのが、いい人生」(斉藤茂太)

 自分の思い通りにならないことが起こった時、イライラしたり、なんとかして自分の思い通りにならないだろうか?と自分中心に物事を考え進めたり・・・という事が今まではありました。結果、自分の思い通りにはならないのだと思い知ることが殆どでした。どの様な状況でも同じ時間を過ごすのであれば、ネガティブにではなく、いつでも“たのしめること”を増やすことができる人でありたいと改めて思いました。

停電

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 9月初旬、近畿地方を直撃した台風21号により、私の記憶に残っている中で一番長い時間の停電を経験しました。この経験により、“電気が使える”ということの有難さを改めて知ることができました。そして、真っ暗な中で過ごすということがどれほど人々を不安にさせ、ネガティブな感情を起こさせるのか、ということが初めて分かりました。

 「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」(マザーテレサ)

 今回の停電時、時間が経つにつれ家族もネガティブな行動や発言をすることが多くなり、ついつい私もそのことを否定してしまう、という場面がありました。復旧後、「もう少し優しい言い方をすべきだったなぁ」や「あの時、笑い飛ばすことがどうして出来なかったのかなぁ・・・」など深く反省しました。

 これからも地震・台風など多くの災害を経験することになると思います。苦しいからこそ、悲しいからこそ、笑顔を作ることができる人であろうと改めて思いました。

幸せな錯覚

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 今年の夏、暑い暑い日々が続きましたね。暑すぎる日が続くとどうしても服装が楽な方へ、マンネリ化へ、となってしまいがちなので、少し考え方を変えて過ごすようにしていました。きっかけとなったのは、私の友達の中でもかなりオシャレな友達の存在です。高価なものでもなく、流行を追うでもなく、いつも“自分らしさ”を大切にしていて、どんなに暑い日に会っても小綺麗にしている姿を見て、「私もこのようにありたいなぁ」と思ったことです。

 こういう文章を目にしました(広田雅将「生命の目盛り:幸せになりたかったら」より抜粋)。
 「私たちが感じる時間は、常に私たちの置かれた環境に左右される。(中略)気分を変えるために、違った服装をするのは良いアイデアだ。しかしよほどクリエイティブな仕事でない限り、休日を過ごすような格好で出勤するわけにはいかない。と考えると、時計を変えて時に対する感じ方を変えるのは素敵な解決策に思える。(中略)時計にせよペンにせよ、物は物でしかない。しかし環境を変えられずとも、持ち物を変えるだけでその瞬間を素敵に演出できるならば、それは大いにありだろう。錯覚かもしれないが、それは幸せな錯覚だ」

 限りある時間、多くの人は同じことを繰り返す日々だと思います。たまに旅行に行ったり、友達と会って食事をしたり・・・そんなに大きく環境を変えることは難しいですよね。私はこの夏、マンネリではなく少しずつですが違った服装をすることによって、一日一日を少し楽しむことができました。

 「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」(渡辺和子)

 服装に限らず普段の持ち物を少し変えるという素敵な解決策で、楽しむこと・幸せだなと思えることを見つけ、毎日を大切に過ごしていきたいです。

座席、倒していいですか?

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 先日、「座席、倒していいですか」という毎日新聞の面白い記事を見つけました。発端は実業家 堀江貴文さんのツィッターからです。新幹線で「席を倒していいですか?」と聞かれ、<ウゼェ。勝手に倒せや。そうやって何でもかんでも保険かけようとすんなボケ>と不快感を表すツィートをしたことが賛否両論を呼び、この記者の方が、このことについて自分の周りの方たちに片っ端から聞いて回った、という記事でした。

 皆さんは新幹線で座席を倒す際、“倒していいですか”と後ろの人に断りますか?

 私は基本、断りますが、ちょっと声を掛けずらいなぁと思ったときは、ジワジワと分からないように倒す派です。この記者の方は、今まで一度も声を掛けたことがない派で、JR東海にも聞かれたところ「後ろの席のお客様のご様子に留意して・・・」あたりが公式見解だそうです。

 「マナーとは他人の気持ちへの細やかな心遣いのことです。
  それさえ弁えていたら、よいマナーを心得ていることになります。
  フォークの使い方など問題ではありません」(エミリー・ポスト、アメリカの女性作家)

 このような話は、“どちらが正しいのか?”と友達などと議論したところで、おそらく平行線をたどるような気がします。もし自分が後ろの人の立場であったとき、どのように接してもらうことが気持ちが良いのだろう?と、相手の気持ちになって行動を起こすことが良いと思っています。新幹線の座席だけではなく、日常生活のさまざまな場面でこのようなことは起こりえますよね。そんな時、この記事にも書かれていましたが「私の常識は誰かの非常識」と理解しながら、いつも相手の気持ちになり、「どうしてもらうと嬉しいだろう?」ということを常に考えて行動できる人でありたいです。

ワールドカップ ポーランド戦

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 今年6月に開催されたワールドカップ、日本代表のベスト16進出により日本中がすごく盛り上がりましたね。長谷部選手が帰国後の会見で「このように皆さまに期待されない状況、この雰囲気を絶対にひっくり返してやろうとチームの中でみんなで話していました」と仰っていたように、開催前の監督交代、同じ予選グループの他国との世界ランキングの差による低評価・・・開催前はネガティブな情報ばかりを耳にしていたように思います。

 決勝進出をかけたポーランド戦の残り10分の攻めない戦い方については、国内外で賛否両論がありました。あの時点で100%決勝進出できるとは限らない、でも100%ブーイングを浴びせられることを覚悟し、決断そして行動にうつされた西野監督を、サッカーのことをほとんど知らない私は「すごい決断力のある人だなぁ」と思いました。そしてその行動により、私たちに喜び合えるという幸せな時間をいただけたことがなにより嬉しかったです。

 「行動は必ずしも幸福をもたらさないかもしれないが、行動のないところに幸福はない」
                            (ベンジャミン・ディズレーリ)

 私にも、いつもその行動力に驚かされる友達が一人います。たまに、その行動の途中で人間関係やなんらかの理由により断念していることもありますが、その反省後、また新たな行動にうつしています。そんな彼女を見て、「私も頑張ろう!」といつも元気づけられています。

 良かれと思った行動が失敗に終わることも、もちろんあると思います。西野監督の行動力により幸せな時間を過ごすことができたように、失敗をおそれず、幸せな時間を過ごせる人が少しでも増えるような行動ができればと思っています。

点とのつながり

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 6月中旬、最大震度6弱の大阪北部地震があり、私が住んでいる地域でもかなりの揺れを感じました。一瞬、地震とは分からずに、何をしたら良いのかが咄嗟に分からず、ただ揺れている状態を見ているだけで、いざという時に意外と何もできないものだ、ということを改めて実感しました。

 ちょうどその翌日の糸井重里さんのエッセーが心に残りました。
 「すべての人を見渡して、知って、思いやって、なにかの手助けをするなんてことはできない。
  どう考えても、できるはずがないのだけれど、その“できない”ということにあらためて気づく、
  ぼくらは深い“無力感”の沼に頭をつっこんでしまう。
  “すべて”を意識から外せばいいのだと思った。
  “面”と交信をしようとするのではなくて、偶然にでも選ばれた“点”とつながりあえばいい。
  被災地のすべてを見ようとするのではなく、気仙沼に“ともだち”がいる、と決めて、
  その人たちがなにをしているのか、どういうふうになったらうれしいのかを考える。」

 地震だけでなく台風、火災など大きな災害が起きた時、「私に、今何かできることはないだろうか?」ということを考えますよね。その時、流れるニュースや情報により「あれも出来ないだろうか?これも出来ないだろうか?」と多くの可能性を考え、結局、糸井さんの仰る“できない”という無力感を経験したことがあります。

 「微力だけど無力じゃない」(2008年長崎平和宣言より)

 大きな災害が起こった時、私たち一人一人が出来ることはほんの僅かな小さなことだと思います。でも、点で偶然につながった人たちがどのようになったら嬉しいのかを考え、そしてどんな些細なことでも行動に起こすことができる人でありたいと改めて思いました。

清塚信也さん

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 少し前になりますが、ある番組でピアニストの清塚信也さんという方を初めて知りました。その時の話題であったジャニーズ事務所のアイドルの方の退所について、清塚さんのコメントと話し方にとても好感をもて、一緒に出演されていた他の方も絶賛されていました。

 清塚さんという方をもう少し知りたくなり調べていたところ、このような文書を目にしました。
 「どん底の気持ちの中で、ある日『自分は人間的に“いい人”になりたい』と思い始めました。よくよく考えれば、人生の節目となる時期に素晴らしい先生方と出会えたことをはじめとして、自分は今まで人との出会い、その人たちとのつながりの中でピアノを弾きながら生きてこられたことに気づいたわけです」

 「自分が歩んできた過去を振り返ってみると、何とたくさんのすばらしい、
                     一生に一度の出会いがあることか」(井上靖)

 若い時、「京都って狭いなぁ」と人との繋がりをあまりよく思わない時もありました。今は、色々な人との出会いがあり、そしてその繋がりのおかげで、困っている時に助けてもらったり、悩んでいる時に相談にのってもらったり・・・有難いなぁと思うことがよくあります。これから先、新しい出会いにも今までの出会いにも感謝し、人との繋がりを大切にしていきたいと思っています。

米朝首脳会談

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 今年6月12日、歴史的な米朝首脳会談がシンガポールで開かれましたね。トランプ大統領が就任して以来、両首脳のツィッターやメディアを使ってのお互いの罵り合い(?)のようなことが続き、「これからどうなっていくのだろう・・・」という不安を感じていました。同じように思われていた方も多かったのではないでしょうか。

 両首脳が両国の国旗の前で向き合い、ともにやや緊張した面持ちで握手をした時、シンガポールで開所されていたメディアセンターの映像が流れ、各国から集まったメディアの方たちが、一斉にその握手姿をカメラ・携帯と写真に撮られている姿が大変印象的でした。

 「握り拳と握手はできない」(ガンジー)

 この握手の姿を見て、最後に人と握手をしたのっていつのことだろう?とふと思いました。普段の生活でなかなか握手をする機会ってないですよね。あるサイトで国別の「握手のポイント」がまとめられていたのですが、アメリカは握手の強さレベルが5で、固い握手を交わし、相手の目を見てフルネームを名乗る、らしいです。日本は、強さレベル1で、誰かが握手をしようとしたときだけ握手をし、軽く握ってかすかに振り、そして目は合わせません、と書かれていました。

 国々によって握手のもつ意味は違うのですね。ただ、この歴史的な握手が、これからの未来を明るくするものであって欲しいと思っています。