幸せは複数形

経理・事務を担当しています黒田です。

コロナ禍の長い3年間を経て、ようやく明るい出口が見えたと思っていたのに、日本も世界も明るく、そして気持ちが晴れるような話題が少ないですよね。

「幸せな人は、他の人も幸せにしてしまう。
幸せは心が決めるというけれど、その前に、幸せである態度が必要です。
それは、他人を喜ばせるような態度です。
笑顔だったり、傾聴の姿勢だったり、元気だったり、明るかったり、溌溂とした言動だったり。
ここがなければ心が幸せを決められない。
それは、他人の幸せな姿を見て、自分の幸せだと判断するからです。
隣にいる人が不幸な姿だったら、自分は幸せを素直に喜べないからです。
幸せはいつでも複数形なのです。
自分も他人も幸せである時、私たちの幸せは実感できるというものです。
自分の周りを幸せにしよう。そこからしか人生は始まらない。
自分だけが幸せなんて、そんな寂しいことはないからです。」(三山不動産 幸せ 2022.11.15)

たびたび登場する愛老犬君は目も耳もかなり不自由な状態になっているのですが、笑いながら明るい声で彼に話しかける毎日を過ごしていると、自分の気持ちも常に明るくいれるようになってきました。

「幸福というものは、一人では決して味わえないものです」(アルブーゾー)

もちろん元気になれない時もありますが、せっかくコロナ禍という長いトンネルの出口が見えたのですから、誰もが幸せを実感できることが多い世の中になって欲しいです。私も幸せである態度を忘れずに日々を過ごしていこうと思っています。

“脱・すいません”しませんか?

経理・事務を担当しています黒田です。

少し前、なんの迷いもなく使っていた言葉が適当でないことを知り、言葉遣いの大切さを以前よりも感じています。言葉は遣い方によって救いにもなりますし、凶器にもなりますよね。

なるほどと思う文章を読みました。
「“すいません”という言葉が気になっています。(中略)どこでもいつでも使ってしまう“すいません”が、本当にそれでいいのだろうか?と、とても気になったのです。お店で追加の飲み物を頼む時“すいません”、エレベーターを開けて待ってくれていた時“すいません”、歩いていてうっかり人にぶつかってしまった時“すいません”。
私は頻繁に“すいません”を使うのですが、上の例では一つ目のようにお願いする時、二つ目のように御礼を云う時、三つ目のように謝る時、など、それぞれ異なる意味で“すいません”を使っています。一つ目は「お願いします」、二つ目は「ありがとうございます」、三つ目は「ごめんなさい」と云うべきではないか?そうしないととてもテキトーに自らの意思や気持ちをごまかして表現していないか?と思うに至りました。そう考えて、数日前から“すいません”は一切使わずにそれぞれの状況に応じた言葉を使ってみようと考え、それを実行に移しました。(中略)今後どうなるか分かりませんが、言葉は大切にしたいと思います」(松本大のつぶやき 脱・すいません 2023.4.10)

私も“すいません”を頻繁に使っています。この文章に書かれているように、テキトーに自らの意思や気持ちをごまかして表現していますよね。

「言葉遣いは無料でできるオシャレ」(カズレーザー)

オシャレをする時、鏡に映る自分を見ながら「この服かなぁ?」「いや、この服の方が良いなぁ」などなど楽しい時間ですよね。不安を煽られる言葉を耳にする機会が増えていますが、どのような状況でも前向きに綺麗な言葉を遣い、無料でできるオシャレを楽しみながら人生をより明るいものにしていきたいです。

買い物

経理・事務を担当しています黒田です。

皆さんは長いあいだ着なくなった服はどうされていますか?
シーズン初め「今年は着る!」と出してきた服、シーズン終わりに「今年は着なかったけれど、来年は着る!」とその服を収納する・・・この繰り返している服も少なくありません。ミニマリストにはほど遠いですね。

買い物ってそうだなぁと思える文章を見つけました。
「作った人が、“私はこういう考えで、作りました”と、表明してるんです。“君のその考えに一票!”といって手に取る。これがぼくの買いものです」(糸井重里 第2回:商品が報われる瞬間 6人の買いものマインド、座談会。買いものの謎。)

物には作った人や売った人のさまざまな思いが込められていて、その思いに1票を投じてしまうとなかなか手放せないですよね。

「買い物とは。人にとって必要なエネルギー源であり、
心の栄養であり、コミュニケーションであり生きる喜びである」(石田ゆり子)

買い物だけに限らず、読書や食事などで必要なエネルギー源・心の栄養をためて、生きる喜びを忘れずに日々を過ごしていきたいです。

3年ぶりの夏

経理・事務を担当しています黒田です。

3年ぶりにマスクをしなくてもよい夏がきましたね!
今年は物価の値上がりを始め、雇用保険料率も昨年に引き続きアップしたり・・・ネガティブなニュースが多く、「日本への将来不安」を耳にする機会が以前にもまして増えてきているように感じます。

なるほど、と思う文章を読みました。
『起業した頃は、(中略)やっていないのに、時折「できない」って断定する人々と多く出会ってきた。おそらく、その人の中では様々な知識や情報を掛け合わせて、「できない」と想定しているわけだが、本当にやってみたことがない人たちだった。「やったことないのに、外野から“できない”っていう人たちは、何が目的なんだろう?やるから見とけ」って日記に書いたりしていた笑。
そして、「やってみたけど、ダメだったんだ」って途中で歩くことをやめてしまう人や考え方とも、起業して数年経つと多く遭遇するようになってきた。問題にぶち当たった時に、次の選択肢やアクションが無限にあるのに、「これがダメだったから、もうだめだ」と悲壮感たっぷりに言う人たちや思考との出会いは、私にとって「本当なのかな?」の連続だった。
「諦めない力がありますね」ってよく言われるが、感覚としてはそういう精神力とはちょっと違う。「他にも方法あるんじゃない?全部やってみた?」っていつもいつも途上国で聞いていたことを思い出す。私たちは、とても限られた情報や選択肢の中で「やる・やらない」を決断していると思う。この選択肢の出し方や数が、人が物事を続けるかどうかで圧倒的に重要なのに「精神力」になぜかまとめられてしまうことが多い。起業当初、私がバングラデシュの生産委託工場で何度か裏切られていた時、「自社工場でやってみる」という選択肢をとったが、その選択は、「あり得ないもの」として他の人にはうつっていた。そうだろうか?』(山口絵理子 17周年. Note 2023年3月9日)

パンデミックの影響もあり、事務関係の公的な提出書類はほぼ電子処理に移行されました。もちろん今まで通りの紙・郵送ベースでも受け付けてもらえますが、基本は電子処理です。そういう面に長けていないため私は、悪戦苦闘しながらもなんとかすべて電子処理対応することができました(多分?)・・・その結果「やれば出来るんだ」という気持ちで少しずつですが自信にも繋がってきているように感じています。

「“できなくてもしょうがない”は、終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら、絶対に達成できません」(イチロー)

日常生活において、出来ないこと・不安なことなどなど考えるとキリがありませんよね。限られた情報や選択肢の中だけで諦めたり・できないと判断することなく、“できるんだ!”という気持ちを忘れずに何事にもトライして、前向きに過ごしていきたいです。

芦田愛菜ちゃん

経理・事務を担当しています黒田です。

 最近、芦田愛菜ちゃんをコマーシャルで観る機会が多くなったなぁ、と思っています。デビューされた子役の時から知っているので、勝手に愛菜ちゃんのおばちゃん感覚で応援しています。

 “信じる”ことについて聞かれた時の芦田愛菜ちゃんのコメントが印象に残っています。

「“その人のことを信じようと思います”っていう言葉ってけっこう使うと思うんですけど、それがどういう意味なんだろうって考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。だからこそ人は“裏切られた”とか、“期待していたのに”とか言うけれど、別にそれは、その人が裏切ったとかいうわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えたときにそれもその人なんだと受け止められる、“揺るがない自分がいる”というのが信じられることなのかなって思ったんですけど。でも、その揺るがない自分の軸を持つのは凄く難しいじゃないですか。だからこそ人は“信じる”って口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分だったりとか、理想の人物像だったりにすがりたいんじゃないかと思いました」(芦田愛菜「信じる」が中国人も称えるほど深い訳:東洋経済ONLINE 2020/9/11)

 人にはいろいろな側面がありますよね、だから人と繋がることは面白いんだなぁと思っています。その逆ももちろんあり、その時は愛菜ちゃんが仰っているように、自分が理想とするその人の人物像に勝手に期待してしまっているのでしょうね。

「人を信じよ、しかし、その百倍も自分を信じよ」(手塚治虫)

 パンデミック後の今、日本も世界も心落ち着かないニュースが本当に多いですよね。このような世の中だからこそ、日頃から人と向き合い、考え、悩みなどという試行錯誤を繰り返し人を受け入れられる優しさを得られるように、自分自身ともしっかり向き合って過ごしていきたいと思っています。

野菜の移動販売

 経理・事務を担当しています黒田です。

 水曜夕方、帰り道で野菜などを小型トラックで移動販売されている方がおられ、気になりながらも長い間素通りをしていました。きっかけは忘れましたが、昨年後半頃からちょくちょくお野菜を買って帰るようになっています。買い続けている理由の1つには、販売されている方とはもちろんですが、その場に買いに来られている方とも、なんとなく会話が始まることに人としての温かみを感じている、ということもあるように思っています。

 当たり前のことが当たり前でなくなったこの3年間、ソーシャルディスタンスや自粛警察という言葉を聞く機会が増え、マスクやアルコールなどの買い占めによる価格の高騰などなど、なんとなく人間関係がギスギスした社会になっていたようなことを思い出します。長かったマスク生活も今年3月から緩和ムードになり、今月8日からは屋内外を問わず、原則として個人の判断に委ねる方針になりますね。

 「自分のことよりちょっと他人のことを考えるこんな事ができる人を心豊かな人という」(雪山隆弘)

 人間との繋がりを時には煩わしく思う時もありますが、人は一人では生きていけないですし、もちろん人のみでも生きられないですよね。人に対しても、環境に対しても思いやりを大切にすることができる心豊かな人間でありたい、と常に思っています。

その裏には積み重ねがある

 経理・事務を担当しています黒田です。

 1月22日、車いすテニス男子の国枝慎吾選手が現役引退を発表されましたね。
 昨年も素晴らしい成績で、今年の活躍を楽しみにしていただけに、突然の引退は非常に寂しいです。

 引退会見で、子供たちにメーセージを。自信をつけるためには?という質問への答えが印象に残りました。
「(自信をつけるための)メンタルトレーニングは1位になる前からやっていたが、それだけやっていれば1位になれるなら皆1位になれる(笑)。その裏には、1日に同じような練習をずっと繰り返し反復でやるといった積み重ねがあり、“俺は最強だ”を毎日言い続けている分、反復の練習のクオリティが上がってくるわけです。“こんな集中力で本当に俺は最強と言い切れるの?”と自分自身に問いながらの練習というのは、練習の質を上げることにつながったと思います。そうやって自分自身断言するトレーニングは、僕自身はすごく効果がありましたけど、その裏には積み重ねがあることを伝えたいです」

 以前、長年の目標を達成した後、そのあとのことを考えると不安で仕方ない時期がありました。今も不安がなくなったわけではありませんが、不安を解消するために「本当にこの考え方であっているの?」や「なぜこのような処理をするのだろう?」と少しでも疑問に思うことがあれば調べる・考え直すという時間は惜しまないようにしています。なので、一つの答えを出すのに驚くほど時間をかかることもありますが、本当に少しずつですが自分で歩んでいる、という自信がついてきているように思うことがあります。

 「重荷があるからこそ、人は努力するのである。
       重荷があるからこそ、大地にしっかりと足をつけて歩いていける」(野村克也)

 これから先、もちろん不安が大きくなり、自分に自信がもてなくなる場面もたくさんあると思います。常に自分自身に問い続け、調べる・考え直すという小さな努力を惜しまずに、まだ成長していきたいと思っています。

222回目です。

 経理・事務を担当しています黒田です。

 この投稿が222回目となります!
 2013年4月からスタートしたので丸10年になります。少しだけですが書くことに慣れてきたようにも感じていますが、言葉を文章にするのは難しいなぁといつも思います。

 印象に残る文章を見つけました。
「ルーティンワークの良さの一つは毎日同じことをすることで、小さな違いに気付くことができることです。毎日コツコツとやっていくことの積み重ねは自分を裏切らないですし、精神的な安定や強さにも大きく作用してくれると思っています」(世界と競うこと、日々の暮らしを生きること。杉山愛に学ぶアスリートのメンタル、壁の乗越え方 MELOS 2017.6.14)

 始めた当初は気付かなかったのですが、最近ブログを継続して書いていることにより、日々の行動や考えが整理でき、自分を見つめ直すことができています。例えば、疑問に思っていることなどについてブログを書く時、そのことに関する情報を収集し、文章にしていくことによりだんだんと頭の中が整理されていきます。そして、「そのように考えたら良いんだ!」や「ここの認識が甘かったなぁ」と気づき、行動などを修正することができているように思います。

 「継続するということは、同じことの繰り返しではなく、成長し続けること」(伊達公子)

 これからも少しでも人として成長し続けていけるように、ブログを書き続けたいと思っています。

バタフライエフェクト

 経理・事務を担当しています黒田です。

 最近、NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」という番組を観ています。内容は、世界各国から収集した貴重なアーカイブ映像で現代史をたどるというものです。たとえば、わずか4日違いで生まれた喜劇王チャップリンと独裁者ヒトラーの因縁の二人の終わりなき闘いや冷戦下の東ドイツでの抑圧された社会で見えない将来に絶望していた物理学者のアンゲラ・メルケルさん。その後ベルリンの壁崩壊により絶望の中から希望をつかんだ宰相メルケル誕生などなど。戦後の日本という国に生まれ育った私にはこの番組を通して考えさせられることがたくさんあります。

 最近、印象に残る文章をみつけました。
「幸福以外のものを目的として生きるとき、人は幸福になれる。
 幸せになりたいと願っても、幸せにはならない。それは、現在を否定しているからです。
 今生きていること自体が奇跡的な幸運なのに、これ以上を求め、ないものを求め、
 そして、今を幸せではないと決めつけて、現在を否定しているからです。(中略)
 今をどう生きるかを徹底的に考え、その生き方を貫こうとすることです。
 人生は事後的にいつもやってくる。幸せだったなと。そして、そう思える今も幸せだなと。
 これが、私たちの生きた結果です。生きること。このことの中しか幸せはないのだから。
 そして、そのために今を肯定して全力投球することです。」(生きる 2023.1.16 三山不動産)

 「1日ずつ、人生最高の日にしよう」(ジョン・ウッデン)

 今年の目標に「行動に起こす」ということを掲げました。今までは何かやりたい事や行きたい所があっても、なんとなく躊躇したり、一緒に行動してくれる友達を誘ったり・・・となかなか一歩を踏み出すのに時間がかかっていました。有限である時間を大切に、日々を全力投球で過ごしたいと思っています。

ひとりじゃ味わえないたのしみ

 経理・事務を担当しています黒田です。

 このブログで度々でてくる月1回のテニス、メンバーの1人が海外赴任のため、来月アメリカ行ってしまいます。昨年10月に直接、海外赴任の話を聞いた時、「起こって欲しくないことが起こってしまったわ。これからのテニス、私はどうしたらいいの?!」とわけわからないことを本人に相談してしまう・・・ということをしてしまいました。というのも、スケジュール調整、テニスコートの予約、練習内容の決定などなど、彼の存在は私だけでなく、みんなにとって本当に大きなものになっていたからです。

 「ひとりの時間は大切なのだけれど、だれかがいて、だれかがよろこんでくれたり、だれかがたのしんでくれることがなかったら、じぶんもおもしろくないのだ。大玉のスイカをみんなで食べるという図はわかりやすいが、切って売ってるスイカだとしても、ひとりだけよりも、だれかと分けて食べるほうがいい。“おいしい”もいいけれど“おいしいね”はもっといい。分け合ったり、ゆずり合ったり、少々取り合ったり、確かめ合ったりというようなことは、めんどくさいと思えるようなことでもあるのだけれど、ひとりじゃ味わえないたのしみがあるよね。“あなたもよろこぶこと”が“わたしもうれしい”は、人間の味わえる最高のよろこびかもしれないとさえ思う」(ほぼ日刊イトイ新聞 2021.9.29)

 みんなのテニスレベルも着々と上がってきて、プレー中はどうしても真剣になってしまうのですが、コート以外の場所では失敗したプレーについてアドバイスをもらったり、他愛もない笑い話をしたり・・・みんなでいるからこの時間が楽しいんだなぁ、と最近よく思います。

 「自らも楽しみ人々にも喜びを与える。大切な人生をこうした心構えで送りたい」(松下幸之助)

 今年も少しばかりの上達を目標に、みんなと一緒いられる時間があることに感謝して、楽しみながらテニスを続けていきたいです。