ありがとう。また乗ってね。

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、小学校低学年くらいの男の子がバスを降りる時、運転手さんに「ありがとう」とお礼を伝えたところ、運転手さんが大きな声で「ありがとう。また乗ってね。」と仰り、その場にいた私も自分に言ってもらえたかのように嬉しい気持ちになりました。京都市バスは、後ろ乗り・前降りのワンマンカーで、運賃は降りる時に運賃箱に入れます。私も降りる時はいつも「有難うございました」と言っていますが、おそらく運転手さんに聞こえるか聞こえないかのような小さな声です。こんなに大きな声で「また乗ってね」と言ってもらえたら、「この運転手さんの運転するバスにまた乗りたいな!」と思ってしまいますよね。

 「感謝する技術とは、あなたの感謝の気持ちに手や腕や脚をつけ、声を加えることで感謝することである。
 感謝する技術とは、他人も幸福にしようと努力することで自分の幸福を感謝することである」
                          (W.A.ピーターソン、アメリカの作家)

 「ありがとう」と感謝をする気持ちをもっていても、相手が身近な家族だったり、公共の場で出会う人だったりすると、恥ずかしいという気持ちの方が勝ってしまい、口に出して言うことを躊躇ってしまったり、小さな声でボソボソと言ってしまう時ってありますよね。この運転手さんのように、大きな声で感謝の気持ちを伝えられる人って素敵ですし、周りの人の気持ちも明るくしてくれるものなんだなぁと改めて思いました。私もバスの運転手さんへの「ありがとう」、もう少し大きな声で伝えます。

おかげさま

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、宅配便サービスの過酷な労働実態がニュースになるまで、宅配便の時間帯指定サービスが標準化してしまった社会へ大きく疑問を持つことはありませんでした。ネット通販にIT企業だけでなく、多くの業種が次々と参入し、今まで足を運んで商品を買うのが普通だった私たちの買い物の仕方も大きく変わりました。

 考えてみると、宅配便サービスは利用者にとって至れり尽くせりになってしまい、時間指定だったのに、それより少し早く持って来られたことに対する不満を聞いたりすることもあります。このようなサービスが当たり前になり、少し困ったことがおこるとそのことを主張することばかりに気を取られ、相手のことや地道に小さな仕事をしてくれている目立たない人たちのことをすっかり忘れてしまっているように思います。毎日、寒い中、暑い中、配達しに来てくれる人たちに感謝することをすっかり忘れてしまっていますね。

 「目立たない仕事をしている人へのあいさつを忘れてはいけない。
  私たちはお互いに”おかげさま”で生きているのだから。」(渡辺和子)

 宅配便サービスだけでなく、コンビニで必要な物がすぐに買えることも、その商品を運んでくれる人がいて、早朝でも夜遅くでも対応してくれる店員さんなどがおられるからですよね。一つの物を購入できるのにも、多くの人たちの仕事によって成り立っていることを忘れず、その地道な仕事をしてくれる人たちへ感謝し、いつも「ありがとう」と言える人でいたいと思っています。

真剣さと気楽さ

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 先日ニュースで、東京オリンピックに向けビルの建設ラッシュが続いている首都圏での建設現場で、食堂が大変な活況となっていることが紹介されていました。この食堂というのは、作り置きのお弁当ではなく、職人さんたちの休憩時間にあわせて出来立ての食べ物を準備するということで、例えば揚げたての「から揚げ棒」は150円、あつあつの天ぷらそばは370円。これは、施工会社が職人さんたちの働く意欲を高めるために、建設現場にこのような食堂の誘致を図っておられるそうです。また、最近ではコンビニ大手も同じ場所に誘致し、職人さんたちの選択肢を増やされていることも紹介されていました。

 お昼、私はいつもお弁当を持ってきていますが、たまにお弁当でない日は「今日は何を食べようかなぁ~」と少しウキウキとした気持ちになります。ただ場所的なことから選択肢は限られているのですが、日常と少し違うことがたまに選択できる小さな楽しみにモチベーションが少し上がります。

 このような文章を目にしました。
 「一日は短い単位の一生、一生は長い単位の一日。
  一日を一生の如く真剣に生き、一生を一日の如く気楽に生きたい。
  大切なことは、真剣さと気楽さのバランスです。」

 同じことの繰り返しが多い毎日、「大きな楽しみ」や「大きな幸せ」など大きいことをついつい求めがちになりますよね。でも、「小さな楽しみ」や「小さな幸せ」などを身近で見つけられることの方が、充実した日々を過ごせるのではないかなぁと思います。真剣さと気楽さのバランスを保ち続けることはすぐには出来ないかもしれませんが、常にこのバランスのことを頭の中において、時間を大切に過ごしていきたいです。

自分のために

 経理・事務を担当しています黒田です。

 少し前ですが、あるテレビ番組で「1食20円の寄付が途上国の給食に!」という活動をされているNPO法人 TABLE FOR TWO Internationalという会社が紹介されていました。このNPO法人のことは以前から知っており、HPでも活動内容を調べたことがあったのですが、テレビでの特集をみるのは初めてでした。活動としては社員食堂や学食などで、低カロリーのヘルシー料理を作ってもらい、その代金のうち20円を開発途上国の学校給食(1食20円)の支援に充てるという、仕組みとしては非常に分かりやすいものだと思います。

 日本にはNPOとして社会貢献しようとしているのに利益を考えるのはおかしい、という考えが少しあり、私もどちらかというとこの考え方に近かったように思います。アメリカなどではこの考え方とは少し違うようです。社会に貢献したい、世界をより良く変えたいと思い活動を行っていても利益が出なければ、より良く変えられなかったり、継続的な活動が出来なくなったり・・・という話になり、確かにこのことは当たり前のことだと思いました。

 「社会貢献にはワクワク感が満ち溢れています。
  そして、もっとワクワクしたいと多くの人が思い、行動を起こせばそれだけ、
  この世界の歪みは正されていくのです。どうかそういう気持ちを大事にしてください。
  社会貢献は誰かのためにやるのではなく、自分のためにやる、それでいいのです。」
                 (小暮真久 TABLE FOR TWO International代表)

 社会貢献にはさまざまな方法があり、人によっても考え方が違うものだと思います。私はあるNPO法人に寄付を継続的に行っており、その法人から定期的に送られてくる活動報告書などを読ませていただくと、「少しこの活動の役に立てているんだなぁ」と嬉しくなります。

 職場でも日常生活でも、ほんの少し誰かの役に立つことができると私はちょっとワクワクして、その日が楽しく過ごせます。これからも自分が“ちょっとワクワク”出来る日を自分自身でもっと増やしていこうと思います。

稀勢の里

 経理・事務を担当しています黒田です。

 3月、大相撲春場所の千秋楽、横綱 稀勢の里と大関 照ノ富士の優勝決定戦をテレビで見ました。稀勢の里は前々日に負傷され黒星が続き、「新横綱での優勝は無理かな?!」と思いながら見ていたので、優勝が決まった時は感動しました。久しぶりの日本人横綱誕生という大きなプレッシャーの中で臨まれた春場所、そして逆転優勝、ニュースでも大きく取り上げられていましたね。場所後、「やると決めた以上、諦めないでやろうと思った。元々であれば、15日間、万全の状態で務め上げるというのが使命というか。ああいう見苦しいテーピングとかしなくてはいけない状態になってしまった自分が一番悪いと思っている。」と優勝できたことよりも、満足な状況で土俵に上がれなかったことを反省されていることも稀勢の里らしい発言だと思いました。

 「情熱をもって君たちの使命を愛せよ。これより美しいことはない。」
                    (オーギュスト・ロダン、彫刻家)

 稀勢の里の横綱としての使命を自覚されている行動や発言を目の当たりにして、相撲ファンでない私でも応援したいという気持ちが自然と湧いてきました。何かを成し遂げる時、色々な問題が必ずでてくることが分かっていても、やはり問題がでてくるとその事で精一杯になってしまい、自分が努力している先の目標をすっかり忘れてしまうことがあります。稀勢の里のように自分の使命をどんな時でも忘れない、「誰のために、何のために、今努力をしているのか」ということを明確にできるよう、常に自分に問いかけながら日々を過ごしたいです。

一歩下がってみましょう

 経理・事務を担当しています黒田です。

 「一つのことを考える時、その一点に集中してしまうと視野が狭くなります。
  だから、常に一歩下がって大きくものを見ることができる人でいてください。」

 この言葉は、大学院で最後に履修していた科目の先生が、最後の講義時、私たちへ向けられた言葉です。この先生は、発表内容が望まれているものではない場合は、その事に対してかなり厳しく指摘をされました。しかし、必ずその後、その発表者の良いところを1つは仰ってくださり、「こんな所まで見てくださっているんだなぁ」と思ったことが何度かありました。私は先生のこのようなお人柄が好きで、この最後の言葉が大変心に残りました。

 「視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく、人にも迷惑をかける。」(松下幸之助)

 何かに悩んでいる時、「どうして解決する方法が見つからないのだろう?」とずっと同じ場所で悩み続けたり、何か気分を害することが起こった時、「どうして同じように考えてくれないのだろう?」と相手に対して同じ価値観を求めたりということがあります。自分が煮詰まった時に一歩下がってみる、よく画家さんが絵を描いている時、ときどき後ろへ下がって自分の描いているものを全体から眺めているのと同じように、視野が広がり見えなかったものが見えてくるのでしょうね。

 “一歩後ろから物事を見ること”を常に意識しながら、時には一歩下がって自分を見て、進んでいる道が間違っていないのかも確かめながら、日々を過ごしていきたいと思います。

使い方次第

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 1月末、修士論文を大学院の方へ無事に提出することが出来ました。最後の約1ヶ月、いかに「言葉」というものを普段から何の気なしに使っていたのか、また「言葉」の使い方の難しさを改めて知る良い機会でもありました。例えば、「述べる」という言葉が使いやすくよく使っていたのですが「“述べる”という言葉は弱すぎる、論文では“言ってみました~”程度にしか聞こえない!」、「…のようにされている」を使っていると「誰がされているのだ?主語が無い!」などなど、今までこれほどまでに指摘を受けたことがないくらい、多くの「言葉」の使い方を指摘されました。

 「他人から好かれる人は、言葉の使い方を知っています。言葉は選んで使いなさい。
  言葉の選択一つで、人との関係は180度変わってきます。」(ジョセフ・マーフィー)

 論文に使う言葉と日常生活で使う言葉とでは、大きく違いがあると思います。ただ、どちらとも言葉の使い方一つで、相手への印象が変わることは同じだと思いました。普段、知人や友達と話をしていて、「この言葉の使い方って綺麗だなぁ」と思うことが偶にあり、その時はその言葉使いを真似して使うように心掛けたりしています。もちろん反対の時もありますが、その時は「こういう使い方をしたら相手がイヤな感情が湧いてしまうんだなぁ」と分かり、使わないようにします。

 言葉を使わない日というのが無いからこそ、何気なく簡単に言葉を使ってしまうのでしょうね。今回のことをきっかけに、言葉を選び、そして人に真似てもらえるような言葉の使い方をできるように心掛けていきたいと思っています。

大阪中央公会堂

 経理・事務を担当しています黒田です。

 先日、大阪中央公会堂の中にある会議室を借りる機会があり、初めて大阪中央公会堂の中に入りました。建物の外観も中の様子もレトロな立派な造りで、廊下に置かれている椅子一つでも格調高いものでした。そんな中でも意外なところが近代的で、みんなとも「あの扉だけが近代的だったね」という話になりました。それはお手洗いの自動扉です。

 普段、お手洗いの自動扉というのは珍しくないと思うのですが、あのレトロ建築で自動扉というのが意外な上、開き方が左右にスライド式に開閉するのではなく、回転式なのか?旋回式なのか?開閉する自動扉で、動きが読めないことに「おぉ~!」という驚きでした。

 「人は意外性に満ち、相互に影響を及ぼし合って変化していく魅力的な存在。
     だからこそ、人とのかかわり合いは人生を豊かにする。」(小宮山宏 東京大学元総長)

 この小宮山総長の言葉は東京大学の2005年入学式に述べられた式辞の一部です。この前後に、「人との関わりは、それが多様な人との関わりであるほど成長の糧となります。学んだ分野や育った環境が異なると、同じ問題でも異なる視点から捉える場合がしばしばあります。…人との関わりを通じて、『他者を感じる力』を備えた人になってください。」と述べられています。

 私くらいの年齢になり少しばかり社会を知ってしまうと、人に対しても物に対しても先入観や固定観念により決めつけてしまう傾向にあります。その結果、よく似ている環境で、よく似た人たちばかりとの関わりで過ごしてしまい、今更ながらその関わりの中で意外性を感じることはあまりなくなっているように思います。

 例えがお手洗いの自動扉と少しおかしいですが、人にも物にも意外性があると「おぉ~!」と思い、自然と次への興味が湧いてきますよね。多様な人とのかかわり合いの中で、お互いの異なる知識や考え方、感覚などを理解し、お互いが影響を及ぼし合える人と出会えるように、また私自身もそのような存在になれる人としてまだまだ成長していきたいです。

人見知り

 経理・事務を担当しています黒田です。

 昨年末、ある忘年会で「人見知りだから…と言ってしまうのはどうなんだろうねぇ??」という話になりました。なぜそのような話題になったのかといいますと、そのグループの中で「人見知りだから…」と本人が思ってしまっているからなのか、なかなか周りの人たちと上手くコミュニケーションが取れない関係になっているように見え、「何とか良い方向にならないかなぁ?」とみんなで話していたのでした。

 昨年「恋ダンス」で話題となった星野源さんがある対談で、「昔、自分のことを人見知りだと思ってたんです。でも、今は人見知りって気のせいじゃないかって思うんですよね。『人見知りです』と言うのって、『コミュニケーションをとる努力をしない人間なので、気を遣ってください』というのと一緒なんじゃないかと気づいてから恥ずかしくなって」と語っておられました。

 「自分はこんな人間であるという思い込みが現在のあなたをつくっている。」(作家 佐藤富雄)

 「人見知り=コミュニケーションをとる努力をしない人間」とは必ずしも言い切れないとは思います。ただ「私は人見知り」と思い込んでしまうことにより、“人見知り”というフィルターを通すためなのか、自らの限界を作っているようで勿体ないなぁと思ってしまうことがあります。

 星野さんのように“気のせいじゃないか”というように、自ら限界を作らない「良い方向に転じるように!」と思い込める習慣を作っていけるようにしたいです。

石田ゆり子さん

 経理・事務を担当しています黒田です。

 お昼休みの話題の一つ“芸能ネタ”で、少し前に同世代の女優さんで群を抜いて綺麗なのは“石田ゆり子さん”ではないだろうか、という話になりました。昨年後半にヒットしたドラマ「逃げ恥」に出演されていた時、ちょうど石田さんがインスタグラムを始められたことを知り、よく見ています。犬猫と過ごされていて、動物の愛らしい写真ももちろんですが、ご自身の写真も偶にアップされていて、その柔らかい表情とそこに書かれているお茶目な短い文章に、いつも気持ちが和まされています。

 年を重ねるごとに、何かにつけて年齢の責任にしたり、はたまた「いかにしてもう少し若く見られないものだろうか?」と無理なことを真剣に考え、外見ばかり良くしようと考えがちになることがあります。でも、本当は外見が良くなることを考えるのと同じくらい、いえそれ以上に自分の表情にも関心をもたないといけないのでしょうね。表情は内面から出てくるといわれるように、内面である自分の心をどれだけ豊かにできるかということを考えなければいけないですね。

 「確かに私の顔にはシワが増えたかもしれません。
  でも、私はこのシワの数だけ優しさを知りました。
  だから、若いころの自分より、今の自分の顔の方がずっと好きです。」 
                       (オードリー・ヘップバーン)

 毎朝、化粧をして少しでも良くなりますように!と思う習慣があるように、今年は自分の心にも元気できれいに保つことができますように!と思う習慣をつけていきたいと思います。